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2011年5月28日土曜日

熊本は雨。『地球が制止する日』なんてSF映画を見たあとには静かなピアノ曲が聴きたくなる。- 『ショパンへのオマージュ、誇り高き魂へ』評価★★★★☆ http://amzn.to/jPgNPk

ショパンのピアノ曲集ではなくて、『ショパンに捧げられた』ピアノ曲集。ニューエイジ・ミュージックやリラクゼーションとしてではなくて、ショパン以降のピアニストで作曲家でもあった有名音楽家たちが演奏会で弾くために書いた珠玉の銘品たち。本当に『銘品』という言葉がしっくりします。アルバムの標題になっているグリーグの2分に満たない可愛い曲は、ショパン風と言うよりもフランス・バロック時代に肖像画のように、貴族を音楽で表現した“肖像音楽”・・・そうした、呼び方が打倒かはわからないけれども。劇音楽にショパンがなった時のテーマ曲のような印象の曲から、スペインのショパンと言われたフェデリコ・モンポウの20分を超える《ショパンの主題による変奏曲》まで大小の宝石のようなピアノ曲集。 http://amzn.to/jPgNPk

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Hommage a Chopin

Album Details : Among the many recordings celebrating the 300th anniversary of Chopin's birth, this disc will stand out as an historic record of the composer's extraordinary influence and legacy. Chopin's unique style of piano writing transformed the way in which composers wrote for and thought about the piano. Many composers and pianist-composers have felt moved to pay their respects to Chopin by writing their own works in homage of Chopin. This collection includes works by Mompou, Grieg, Tchaikovsky, Godowsky, and others. via amazon.co.jp

2011年4月20日水曜日

癒しの夕べ・・・とんでもない ユンディ・リのアバンギャルドなショパンとリストの企画リサイタル - インターネット無料配信まで3日に迫りました。

癒しどころか皮肉たっぷりで故意にフォルムを崩して発表した「華麗なる円舞曲」を書いた時のショパンは、二十歳。ウィーンの社交界で総スカンを食らったショパンが、パリに移ってまでウィンナワルツが音楽のブームであったことに、気持ちを抑えて『癒しの調べ』を作曲できるものではないでしょう。キャラクターがイメージ通りかも知れませんが、ベートーヴェンは無くした小銭へのいらだちを曲にしています。

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ショパンがパリに出て世話をしてくれたのが、シューマン。親友を自称していたリスト。そして管弦楽法の異端児、ベルリオーズと産まれ年は1つずつ違う年子の様な4人組は現代だったら、パンクなロックバンドを結成していたことでしょう。さしずめ楽器の弾けないベルリオーズがヴォーカリストというところかしら。

2011年2月23日水曜日

戦場のピアニスト NHK BS2で放送 2011/2/23 21:00 http://ow.ly/41IKd

3月はショパンの"誕生日"。誕生月?・・・では、ありません。ショパンの誕生日には2つの説に割れています。割れていると言っても、持論が正しいと1つにしようという動きはなくて2回もショパンの誕生日を祝えるのなら嬉しいじゃない。と言うポーランド人の穏やかな心。いっそ2つの説を挟んで、一ヶ月まるごとショパンの誕生日にしましょうと、言う事になりました。ちなみに命日は10月17日で、こちらの方は厳粛に受け止められています。

2月23日、午後9時から映画「戦場のピアニスト」がNHK-BS2で放送。 http://ow.ly/41IKd

2010年10月31日日曜日

ショパンの別れの曲は、出逢いを待ち焦がれている思いを込めて

日本でだけ、“別れの曲”の題名で親しまれている練習曲 作品10第3。1934年のフランス映画「 Le Chanson de L'adieu 」が日本で後悔された時に“別れの曲”の邦題が付いて、映画の中で繰り返し登場した曲をさして「映画“別れの曲”で聴いた音楽」が折々に紹介されていく途中で『別れの曲』とあたかもついていたかのようになってしまいました。

2010年10月10日日曜日

SPレコードを聴く ホロヴィッツのショパン① 英アビーロードスタジオ録音盤

壊れかけのラジオ、ならぬ、壊れかけの大ピアニストと言われたホロヴィッツ。バブルの上り坂だったでしょうか、ピアニストの演奏会としてチケット料金は高すぎたかも知れません。ホロヴィッツのマネージメントがどういう要求だったのかは分かりませんけれども、ホロヴィッツ自身のピアノを演奏会場で使用する条件をクリアするために日本招聘側のコストも大きかったことは確かでしょう。

演奏会までの段取りがどうだったのか。老ピアニストの体調がどうだったのか。物珍しい日本の風がどうだったのか。演奏前にインタビューやらプレスやらと、煩わせるものも多かったでしょうね。例え演奏会が夢のごとし上首尾だっても、チケット料金の話題は小さくなかったんじゃないかしら。

2010年10月3日日曜日

噂を聞いたんです。誰も居ない旧校舎でショパンの“別れの曲”が聴こえてきたって... 12の練習曲 Op.10 第3番 『別れの曲』ホ長調 1829年~1832年作曲、1833年出版

心霊探偵八雲のアニメーションが、NHK BS-2で放送スタート。2010年10月3日日曜日、午後11時から。第1回のお話しは、誰も居ない旧校舎でショパンの“別れの曲”が聴こえたって噂を聞いて、訪れた少女に起こる霊現象。彼女は自分の不注意で死なせてしまった姉にされている災いだと思っていたようです。「人の魂の本質は闇だ」と締めくくられているけれども、少女がずっと心に抱えてきた負い目、苦悩に霊現象を呼び寄せる要因があったのでしょう。

ショパンの“別れの曲”は、練習曲第3番ホ長調。『別れの曲』という標題はショパンを題材にしたフランス映画の邦題に由来し、このように称されるのは日本だけのようです。海外での愛称は「Tristesse」で、この曲から「悲しみ(哀しみ)」や「憂鬱」を海外の聴き手にはイメージさせているようですね。12曲をまとめて1833年に初版出版、生涯の友情のはじまりにフランツ・リストへ贈られた曲集です。

少女の心の中にある「憂鬱」を宥めるための、お姉さんからのピアノの旋律だったのでしょう。